大判例

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大阪高等裁判所 昭和38年(ネ)1875号 判決 1970年6月24日

控訴人

京都府知事

代理人

西原安政

他二名

控訴人

代理人

井上弘

外二名

控訴人

土橋賢三

引受参加人

土橋実

右両名代理人

山村治郎吉

被控訴人

寺江直次郎

代理人

有井茂次

主文

原判決中控訴人ら敗訴の部分を取消す。

右部分につき被控訴人の請求をいずれも(控訴人土橋賢三に対する予備的請求を含む。)棄却する。

当審における被控訴人の引受参加人に対する請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ全部被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一原判決中、被控訴人敗訴の部分については被控訴人からの不服申立がないので、直ちに本件土地に対する昭和二五年七月二日付買収処分が無効であるかどうかにつき判断する。

二まず、被控訴人主張の本件買収処分の無効原因のうち、手続上の瑕疵(買収計画樹立・公告・縦覧等の手続を欠き、買収令書の交付がない)について判断する。

(一)  <証拠略>を総合すると次の事実が認められる。

「本件土地を管轄する京都市上京区洛北地区農地委員会は、本件土地につき、昭和二五年二月二四日、買収期日を同年七月二日とする買収計画を樹立し、自創法所定の公告・縦覧手続をし、同年六月二九日京都府農地委員会の承認を得たうえ、同年八月一〇日控訴人京都府知事(以下知事と略称)において買収令書(これを以下第一回令書という)を発行し、同地区委員会を通じて被控訴人に対し郵便に付して送付する手続をとつたが、被控訴人から同令書添付の受領証の返還がないなど、同人に令書交付がなされたことが明らかにできなかつたため、知事は昭和二六年二月一三日、自創法九条一項但書に基づき、令書の交付がないとの主張をされるや、知事は右公告の処置がとつてあつたことを失念していたため、昭和三六年九月八日再度買収令書(これを以下第二回令書という)を作成して被控訴人に交付した。その間知事は前記本件買収処分が有効であるとの前提に立つて、自創法一六条により本件土地を売渡期日を昭和二五年七月二日として控訴人土橋に対し売渡処分をしたうえ、昭和二九年一二月一日、前記買収処分によつて権利者となつた控訴人国(農林省)に代位して本件土地の地目変更登記をするとともに、前記売渡処分を原因として控訴人土橋のため所有権移転登記手続をなした。

(二)  被控訴人は、右第一回令書の控が現存しないから、これが発行された事実はない主張し、たしかにその控が、同時に行なわれたその余の被買収者に対するそれは現存するに拘らず被控訴人に対する分のみが現存しないことは控訴人らも自認するところである。しかし前顕乙第九号証の一ないし一八と乙第二号証を対照してみると、右令書控の綴込帳において、控がNo.13からNo.15に飛んでいるところ、右令書は、乙第二号証の買収計画書の順を追つて作成されて番号順に控が綴られていると認められ、その順によると被控訴人の分が作られていればNo.14に当るべきものであることが推認できる。そして、当審証人上坂宗育の証言によると、前記地区委員会の事務当局においては、本件買収処分に関する書類等の保管につき必ずしも万全ではなかつたことが認められるから、被控訴人に対する分がNo.14として作成されたに拘らず、右控綴には脱落しているものと推認することができる。尤も右控のNo.15(乙第九号証の一四)は、一旦No.14と記載したのを抹消してNo.15と記載し直したものであるところから、No.14の令書は作成されなかつたのではないかという疑が生ずるものであるが、若し被控訴人に対する令書を作らなかつたのならば、No.15の被買収者である訴外西川玄之介に対する分をNo.14とし、かつその後続の分を一番宛くり上げて記載すればよいのであつて、あえてNo.14を欠番とする理由はないと考えられるから、右No.14を抹消してNo.15としたのは、No.14を二葉記載してしまつたため、後順位の分をNo.15と訂正したものと考えられ、このことにより第一回令書が作成されていなかつたと断ずることはできない。

次に被控訴人は、洛北地区農地委員会は昭和二五一一月一五日被控訴人に対し同年一二月二日を買収期日とする買収計画を樹立してその縦覧・異議申立期間を同年一一月一七日から同月二六日と定めた旨の通知をしたものであつて、このことは、前認定の二月二四日の買収計画に基く本件買収処分が不存在であつた証左であり、かりにそうでないとしてもその計画が変更されたものであると主張し、右被控訴人主張どおりの通知があつたことは当事者間に争いがない。しかし、<証拠>を総合すると、昭和二五年一一月八日以前に被控訴人より洛北地区農地委員会に対して本件土地を買収することに対する異議が申立てられたこと、この異議を審理した同年一一月八日の同委員会はその協議の結果、同年七月二日を買収期日とする買収(本件買収処分に当る)を遡つて有効と認めてこれを完結することに決したこと、ところが委員会の事務職員が不馴れなため、前記新たなる買収をする様な形式を踏んで右通知を発し、これに対する被控訴人の異議申立に基づき昭和二六年一月一三日に委員会を開催して再び被控訴人の異議を審査した結果、やはり買収すべきものと決したこと、がそれぞれ認められ(原審および当審における被控訴本人の供述中、これに反する部分はたやすく採用し難く、他にこれに反する証拠はない。)、これによれば、被控訴人は前認定第一回令書の発行後一一月八日以前において、その令書の交付を受けていたかどうかは別としても、少くとも買収処分のなされたことを知つていたと認められないでもないが、その点はしばらく措いても、右通知およびこれに基づく異議の審査は本来不必要なことをしたに止り、これらのことがあつたことは何ら前認定の計画・買収のなかつたことの裏付けとなるものではなく、またこの通知によつて本件処分が取消・変更されたものというを得ない。

他に、前(一)項認定の事実に反する証拠はない。

(三)  前(一)項認定の事実によると、本件土地については、昭和二五年七月二日を買収の時期とする買収処分がなされたことは明かであり、これについて第一回令書が被控訴人に交付されていなかつたとしても、被控訴人に対しては昭和二六年二月一三日、令書の交付に代える公告が行なわれ、さらに昭和三六年九月八日、第二回令書が交付されたことによつて、右第一回令書の交付、公告に関する手続の瑕疵が治癒されて、右買収の時期に遡り有効に処分の効力が生じたものというべきである。

何となれば、自創法九条一項但書による令書の交付に代る公告は「当該農地の所有者が知れないとき、その他令書の交付をすることができないとき」を要件とするところ、前記(二)項に認定のとおり、洛北地区農地委員会は、不必要な手続であつたとはいえ、昭和二五年一一月八日の委員会において、被控訴人の異議申立が理由のないことに決しているのであるから、同委員会、ひいて知事においてはその頃第一回令書の交付の必要性を認識したならば、これを被控訴人に交付するにつき何らの障害もなかつたと認められるので、その後同二六年二月一三日になされた公告は、右令書の交付をすることができないとき」の要件を欠く違法なものといわなければならない。しかし乍ら、買収令書の交付に代る公告が処分の当時遅滞なくなされ、且つ、前認定のように表見的であるにしても、すでにその処分が有効であることを前提として、買収の時期に農地の所有権が国に移転し、次いで国から買受人に移転したものとして処理されている場合において、右なされた公告の瑕疵を補正するために行なわれた買収令書の交付はその効力を是認すべきであつて、右令書の交付がそれ自体として著しく遅滞して行なわれたという一事をもつてそれによる公告の瑕疵の補正を否定し、前叙のごとき一連の手続をすべて無効に帰せしめることは許されないと解するのが相当だからである(昭和三六年三月三日最高裁判所第二小法廷判決・最高裁判所裁判集(民)四九巻三三頁、昭和四〇年五月二八日同小法廷判決・前同集(民)七九巻二二三頁参照。昭和四三年六月一三日同第一小法廷判決・民集二二巻六号一一九八頁もこのことを前提とした判示である。)。原判決は、前記公告をも欠いたとの認定に立つて右第二回令書の交付によつても瑕疵が治癒されないと判断したものであるから、当裁判所と認定事実を異にし、これを是認することはできない。

もつとも、前掲最高裁判所判決の各判旨によれば、令書の交付は「公告の瑕疵を補正するため」に行なわれた場合にその効力を是認すべきであるというものであるところ、本件では第二回令書の交付は、前認定の様に知事の主観においては、右公告のあつたことを失念していて、単に第一回令書の交付の瑕疵を是正する意図でなしたものである点に多少の問題はある。しかし、前掲昭和四三年六月三日の最高裁判所の判決が厳格に「瑕疵ある公告の行なわれた場合」と「公告も行なわれた事跡のない場合」とを区別する所以のものは、処分当時すでに外形的に処分意思が外部に顕現せられていたかどうかを区別し、それが外部に顕現せられていたときは、その瑕疵の補正を後日に譲ることを許容することが許されると考えたからであると解し得べく、かかるときは、処分庁に公告の瑕疵を補正する意図があつたかどうかに拘らず、客観的に補正の効果を生じ得べき場合には、その令書の交付の効力を承認するに妨げないと解すべきである。

(四)  よつて、この点においては本件買収処分を無効とすることはできない。

三次に被控訴人主張の実体上の無効原因(本件土地は農地でなく、控訴人土橋が不法占有して耕作していた土地であると)の主張について判断する。

(一)  <証拠略>を総合すると、「(1)本件土地は、被控訴人が昭和一〇年六月一七日に訴外高橋松三郎から買受けたものであるが、その当時から屋敷跡地であつて、隣地との境界附近には茶の木がまた敷地内には数本の庭木があり、家屋の取毀し跡には土台石がそのままになつていた宅地であつたこと、(2)ところが、被控訴人が京都府下綴喜郡に疎開した昭和一九年頃から、控訴人土橋が、本件土地を掘り起して畑地となし爾来本件処分時まで農耕の用に供してきたこと、(3)右耕作については、同控訴人は、被控訴人との間に小作契約を結んだりその明示の承諾を受けたりはしていないこと」等の事実を認めることができる。

しかしながら、他方、<証拠略>を総合すれば、「(4)被控訴人が本件土地を入手したのは、老後の隠居場にするためであり、疎開するまでは、たまに見回りに来た程度で、現実に使用もせずそのまま放置しておいたこと、(5)控訴人土橋は本件土地に隣接する地続きの被控訴人所有畑地四筆を同人から賃借していたが、被控訴人が疎開するに当りその荷物を預つたり運搬を手伝つたりし、また、その頃から、物資不足を補うため、被控訴人土橋からは農作物を贈り合うなどして、かなりな親密さで双方の交際が続けられてきたこと、(6)被控訴人は、昭和二三年頃右畑地四筆を買収されたが、昭和二五年一〇、一一月頃になつて、残りの本件土地も後に買収になつたことを知り、不法占拠を理由に異議を申し立てたこと」等の事実が認められる。ところで、(7)真に不法占拠であるならば、異議申立とは別に、発見後直ちに明渡しの要求その他不法占拠者に対し取られるべき措置が講ぜられてしかるべきであるにもかかわらず、控訴人土橋に対しては、昭和二九年には催告状を発し調停を申し立て現地に杭打ちに赴くなどして土地返還を求めるまでは(これらの事実関係は、原審および当審における被控訴本人の供述によつて認められる)、格別強硬な態度に出たことを認めるべき証拠はない(この点に関する右被控訴本人の供述は信用できない)。

このように見てくると、被控訴人は、買収さえなければ控訴人土橋の本件土地耕作をあえて問題としなかつたであろうし、したがつてまたその以前からこれを黙認し許容していたものと推認できる余地もあり、そうすると、前記(1)ないし(3)の事実関係だけから、同控訴人の耕作が盗作その他無権限による不法耕作であると断定することができなくなつてくる。ほかには、不法耕作であると認定できるだけの証拠はない。

(二)  以上のとおり、証拠上見る限りにおいては、本件土地は農地でもなく小作地でもなかつたとまで認定することはできないから、この点に関する被控訴人の買収無効の主張は採用できない。

四右のとおり、本件買収処分に被控訴人指摘の各無効原因を認めることはできず、他に無効原因の主張はないから、被控訴人の本件買収の無効を前提とする本訴請求(控訴人土橋賢三に対する予備的請求および引受参加人に対する請求を含む)はいずれも理由がなく排斥を免れない。されば、原判決中被控被人の請求を認容した部分は不当であるから、これを取り消してその請求(控被人土橋に対する予備的請求を含む)および被控被人の引受参加人に対する請求をすべて棄却すべきものとし、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。(村上喜夫 賀集唱潮久郎)

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